Junior Mance ジュニア・マンス (ピアノ)

レスター・ヤング、チャーリー・パーカー、ディジー・ガレスピー、伝説の巨人達と過ごした若き日々。魂をゆさぶるブルースフィーリング。
寺井尚子(vl)を見出した彼が、バイオリンの新星を加えて全く新しいトリオを結成!

1928年10月、シカゴ生まれ。5才よりピアノを始め、13才で既にプロとしての活動を開始。
1947年、ジーン・アモンズ(ts)のバンドへの参加から彼の経歴が始まった。
レスター・ヤング(ts)のバンドで1949年から2年間、51~53年、キャノンボール・アダレイ(as)と共に軍隊のバンドに参加した。再びシカゴに戻り、一年間、「Bee Hive Jazz Club」 のハウスピアニストとなり、チャーリー・パーカー(as)、コールマン・ホーキンス(ts)、ソニー・ステイット(as)らと共演し、まさにモダンジャズの歴史の日々を刻んでいたのである。
1954年、ダイナ・ワシントン(vo)の歴史的名盤、「DINAH JAMS」でクリフォード・ブラウン(tp)、マックス・ローチ(dr)、クラーク・テリー(tp)らと共にその名を残した。
1956年、キャノンボール・アダレイ(as)と再びバンドを結成した。1958年、ディジー・ガレスピー(tp)のバンドへの参加は、彼のジャズ人生の中で最も貴重な時期となった。ガレスピーから多くのものを学んだ彼は、
1961年、自己のトリオを結成し、名盤、「Junior」を発表。以後、ニューヨーク・ジャズシーンの中心メンバーとして、リーダーアルバムで30枚以上、サイドメンとしての数多くのアルバムを世に送り出した。
また、この時期、ジョニー・グリフィン(ts)クインテット、そして、1963年~64年、ビック・ジョー・ウイリアムス(vo)のピアニストとしても活躍した。
1988年、ニュースクール大学ジャズ科に迎えられ、「ブルースレッスン」の講座を担当し、内外の多数のミュージシャンが彼の指導を受けた。1997年、フロリダ州タンパで、栄誉ある国際ジャズの殿堂入りを果たした。
2000年7月、リンカーン・センターでソロピアノコンサートを開いた。
まさにジャズ本流の歴史を代弁する巨人である。